瀬戸大橋から見える島に行きたい 香川県塩飽諸島本島

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 本州児島と四国丸亀を結ぶ本四連絡橋は1988年に開通した全長12,300mの世界最大の鉄道と道路が通る型の海上橋です。この橋を通るたびに瀬戸内海の綺麗さを実感できるのです。あの島に行きたいなあなんて何回思ったかわかりません。でもタイラバ船(ルアーで鯛を釣る釣船)で近くの海で釣っても、児島のトンネルから出たあの瞬間のトキメキはないのです。目の前の竿に来るアタリに気を取られて景色どころではありませんでした。鯛をポイント(場所)もほとんど覚えていません、そんな精神状態でした。その本四連絡橋から西に見える島に行けるチャンスが来ました。本当に何があるのか楽しみです。トンネルを抜けたあの感激が島で甦るか?話を進めましょう。地方の特産品をゲットできるサイトを貼り付けておきます。ANAふるさと納税

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 塩飽諸島は本四連絡橋の西側に位置します。岡山県と香川県の間の西備讃海峡には島が28ございます。その内塩飽7島、本島、広島(県や市の名前ではありません島の名前です)、与島、牛島、柜石島、高見島、手島です。この海域は瀬戸内海で最も狭くなった場所であるので、この地を占領すれば制海権を掌握できました。昔から多くの海賊や大名が拠点を置き、交通の要所として栄えました。その中で今回訪問するの本島はその一大拠点だった場所です。本島に拠点を置いた勢力は元々は建築屋(大工)だったみたいです。大工の海賊です。海賊の生命線は船です。船を作るのがうまい海賊なのです。だから海賊王になった訳です。時代は移り彼らの技術は船だけでなく、家の建築にも発揮されました。これが笠島の古い町並みの光景となりました。加えて当地は石の産地でもあります。大阪城や丸亀城に提供した石垣の石も当地産です。なので昔この島に住んだ人間は建築、石加工、造船、航海技術の専門家だったのです。それゆえ現在まで残る数百年前の豪華な木造住宅街を建築することが可能でありました。当然幕府は彼らに自治権を与え、歴史上実力を持った地方となったのです。私も使っている旅行鞄のサイトです。

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 塩飽諸島は最寄りの丸亀港よりフェリーや高速客船で約30分の距離です。船に乗ってしまうと本四連絡橋や瀬戸内海の光景を見てるうちにアッと言う間に

本島港に到着してしまいました。しかしながら訪問する時は事前に時刻表を精査してください。便数は意外に少ないのです。小豆島、直島や豊島等観光地化に成功した島と一緒にしてはいけません。ここは瀬戸内海の秘境と思った方がよろしいでしょう。本島港に到着したら自転車は借りることをお勧めします。

笠島集落の古い街並みまでは2.2kmあります。もし島を一周しようとすれば、相当なアップダウンは覚悟ください。なので少なく共電動自転車は必要となります。道が平坦な本島港から笠島集落までは歩くと10,000歩は越えます。何かあった時に体力は温存しましょう。私は普通のママチャリを借りて山道でへばりました。

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 塩飽諸島への交通アクセス全体をご紹介します。これは2021年秋の時刻表を基に書いておりますので、行かれる時は最新の時刻表を参考にしてください。

丸亀港-本島港のフェリーと高速客船(略称:高客)は次の通りです。6:10,7:40、10:40、12:40(高客)、15:30,16:30(高客)、18:15(高客)、20:00(高客)。岡山の児島港からは六口丸海運が出てます。6:25,9:30,16:00、18:30。30-35分位で目的地に着けます。帰りは港で確認してください。なので岡山県から塩飽本島経由で香川県へのアクセスも可能なのです。例えば早い時間に児島で児島ジーンズ専門店でオリジナルジーンズを買い求めるのも可能です。私は今回は丸亀港10:40のフェリー、帰りは14:15の牛島経由の高客で帰りました。本島港には簡単な食堂と自転車レンタル処があります。電動は少ないので予約が必要かもしれません。

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 本島港を出発して約400m、非常に伝統的な日本建築物を発見しました。ここは塩飽勤番所跡です。勤番所とは何か?これは幕府の代官所なのです。建築が岐阜県高山市の高山陣屋や埼玉県川越市の川越本丸御殿に非常に似ております。これこそ江戸時代の幕府直轄であったことを証明しております。なんでこんな辺鄙な島に重要な代官所がと思うのは現代人である証拠でしょう。本四架橋も無い時代、ここは交通の要所で瀬戸内海の要であった場所なのです。歴史地政学的な言い方をすれば、瀬戸内海で最も狭い海峡の場所である塩飽諸島に政府機関をおいて、瀬戸内海の海上交通をコントロールするのは為政者である幕府の常識です。しかし1988年に目の前に本四連絡橋が開通して歴史的役割は終了しました。その他の瀬戸内海の有人無人の島と同じく、綺麗だけの存在になったのです。もし歴史に興味がおありであれば、ここへおいでになり博物館内にある塩飽海賊の資料を見れば、いかにしてこの島が歴史上非常に重要な位置に存在したかがお分かりになると思いますよ。

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 ここは恋人岬です。全国にたくさんあるあの恋人の鐘もあります。本四連絡橋を背景に、瀬戸内海の綺麗な写真を、甘い時間と共に記念撮影ください。天気が良ければ、新婚の写真を記念撮影するのに絶好のスポットとなりえます。この場所ですが笠島集落古い街並みと新在家集落の間の海岸で、小さな岬の様な所にございます。本島観光案内所曰く瀬戸内芸術祭の影響を受けて直島や豊島に続いて現代芸術作品がこの島でも展示されるようになったそうです。これはその一種なのです。

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 ここは塩飽諸島本島笠島歴史的重要建築物群保存地域に指定されております。当集落の住民は過去の建築物とその風格を保存することに同意しました。これは修理の時に、国で定めた厳格な修理基準を守らないといけません。この為居住民の負担は比較的大きくなります。しかし多くの重伝建の古い街並みは人口老齢化の最前線に直面しております。どうしても後世の残さねばならない貴重な文化や技術があるのです。本島の建築技術は過去の匠が、船で使われる造船技術を家屋建築に応用したものであり、一種の伝統文化なのです。日本国内には多くの木造加工技術がありますが、木造建築技術に興味を持った学生や建築家志望の方は一度こちらに来てじっくりと詳細をみて過去の匠の技術を学ぶのは如何でしょうか? 

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上記の写真の建物は倉庫です。古い街並みの一部です。封建時代の木造建築が現在まで住み続けられ、すでに150~200年の時間が経ちました。道路の石張りは当地原産の石を使っております。同様の石垣が全国のお城や城壁に使用されております。笠島重伝建の街並みに一旦入ると、ここが離島の街並みであることが信じられません。100年を超す建築物は特別に際立った感触があります。修理も行き届いております。この通りは笠島重伝建のメイン通りのマッチョ通りです。

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 この古い街並みは映画を撮影する為に作った街ではありません、人がずっと住み続けているのです。つまり住みながら古い街を監理しているのです。真木家では塩飽の建築の匠の作品を見ることができました。吉田家では18世紀の有名な画家である伊藤若冲の作品と塩飽建築工匠が作り上げた作品を見ることができます。マッチョ通りにやはり集中してます。

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 街並みを見ながら写真を撮り進んでいた時に、偶然古い木造家屋の食事処から女将さんが出来てました。ここは女将さんが経営する食事処でした。時間が昼を廻っており、ここで食事を取る事にしました。昼ごはんの内容はカレーライスでした。これにはアイスクリームがデザートに付いており写真を撮ったわけです。女将さんは島の出身でなくご主人が島の人でした。お主人が亡くなった後に古い街並みで食事処を経営したとのことです。ここ以外に笠島集落には食事処はございます。もし当地の海鮮料理が食べたいならば、丸亀港でその内容を拝見することが可能です。なぜここへ来てカレーなのか?それは前の晩に香川の海鮮を食べ尽くす位食べたので、今日は海鮮以外の食事にしたかったのです。次に訪問する時は当地の海鮮を食べたく思います。ここは東路通りです。

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 アイスクリームの上に桃色、白、薄緑のものが載ってますが、これはなんでしょうか?これは香川県丸亀市の名物お菓子である御入(おいり)というものです。当地ではお祝い事があると御入を食べるそうです。先の女将さんが言っておりました。でもアイスクリームの上に載せたのは私が初めて、特許でも申請しようかしらなんて言っておられました。

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 食事処の前のご主人が生前に書いた瀬戸内海の魚類の絵画です。よく見るとどの絵も魚をよく表現しております。これは芸術上どうかということではないですが、奄美大島を代表する画家である田中一村の奄美の魚類に似てます。瀬戸内海にどんな魚がいるのかよく解ります。

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 東路通り沿いの民家にあった夏みかんの写真です。四国ではこの種の夏みかんは多く。愛媛県と高知県のポンカン等大型ミカン類は非常に有名です。とくにこの写真は青、黄色で構成され、瀬戸内海の温和な海を思い起こします。美味いまずいは不問にして、大体家になっているのは80割ほどは酸がきつく、そのまま食べることができません。甘さがどの位あるかですが、余り試したくありません。

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 この写真は紹介したものの拡大版です。東路通りの最重要部分です。すべて塩飽建築工匠の作品なのです。建築物の壁には灰汁を塗り表面を焼いた木を使用しております。この壁は黒白のコントラストの表現を強調してます。路に敷き詰められた石版と屋根瓦の灰色と空の青さが景色を作り上げます。これが瀬戸内海の村の特色なのです。これに柑橘類の黄色や柿の赤が加われば、昔の工匠が作り上げた建築美がすごさがわかります。

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 塩飽本島には猫の絵の博物館があるそうです。道に迷い行き着くことができませんでしたが、笠島重伝建で一匹の可愛い猫ちゃんを見かけました。猫の絵の博物館は無料だそうです。猫好きな人は必見です。

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 ここは本島汽船会社の社長である吉田家です。本島汽船は10:40に乗ってきたフェリーの会社です。数年前に彼が持っていた古い絵をなるほど鑑定団に出したところ、本物の伊藤若冲の絵であることがわかりました。社長の家もラスト塩飽建築工匠の作品だそうです。入場料は300円。工匠の作品レベルや如何に?この中にはいろいろ面白いものがあるようです。

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 ここの十字路は城下町建築の基礎と言うべき工法が採用されております。道路の互い違いです。まっすぐではなく、突然折れ曲がっています。車で通れば不便で仕方ありませんが、馬で戦争していた時代ではこの工法は防衛の基本でした。ここは瀬戸内海塩飽海賊の本拠地なのです。他の海賊や大名が虎視眈々と狙う中、本土決戦をするときの防御がここにあります。急に路が狭くなる時、対面から鉄砲やら矢が飛んでくる仕掛けです。

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 この複雑な木造建築様式。2階建ての建物が一つ一つ作られ、弊と家屋が一体となり、中では想像もできない位に分かれている。中間には坪庭を配置しており、こんな建築様式を大工に頼んだらお金がいくらあっても足りません。正面の路を右に曲がると玄関があるでしょう。対面の白い建物は倉庫です。ここでは倉庫を併設した家が少なからずあります。昔は金持ちが家を建て、商売をして海運等ロジで生計を立てていたのでしょう。

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 これが笠島集落の港です、今は漁港で防潮堤かさ上げ工事をやっておりました。対面の船は定置網専用船でしょう。これで瀬戸内海の肴を取っております。何を取ったかは前に紹介した写真をみてください。

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対面は本州島で中国地方です。岡山県か広島県でしょう。釣船の後ろには内航船とドックが見えます。島と島の間には常に渦が発生して、海流が絶え間なく変わります。これが瀬戸内海の特徴なのです。

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ここが午後の本島港です。丸亀港や児島港行きの船はここから出ます。からわら本連絡橋の一部が見えます。釣り人が釣りをしていたのを見ましたが、絶え間なく何かを釣っておりました。この次来る時は釣竿を持ってきましょう。対面の船に乗って帰ります。

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 これは瀬戸内芸術祭関連の作品です。昔から当地では沢山の船を作って来ました。神社も家屋も建築の工匠が作りました。この記録を忘れてはなりません。

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これも瀬戸内芸術祭関連作品です。Alexander Ponomarav制作の瀬戸内を往来する和船です。表面に砂を塗り、砂で作っております。非常に軽いので、風が吹くとゆっくりと揺れます。今回はあまり多くを訪問できませんでした。近くまで行った正覚院という寺院は歴史があり、行基が作ったと言われます。聖観音菩薩等あまり見ることができない作品もあるようです。