文化財指定庭園 特別名勝 兼六園

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 ホームページに紹介されておりますが、兼六園は「回遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法を駆使して総合的に作られた庭です。回遊式とは、の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭の中に大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(ちおん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。いくつのも池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山、林泉、回遊式庭園」とも言われます。ホテルを予約するサイトです

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 何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形つくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、その中に不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者である5代藩主綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせております。旅行に行くときは国内旅行保険を検討されても良いと思います

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 六勝については 相反する景観を調和させ、対照の美を演出すぐれた景観の代名詞「六勝(ろくしょう)」であると言えます。 六勝とは、[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)][蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」という記述があります。その伝えるところは、以下の通りです。「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)、その名を与えられました。ふるさと納税返礼を利用して金沢の名物を手に入れられます

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 宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい) 「宏大」と「幽邃」は相反する意味を持ちます。広々としたところは、明るく開放的であるのが定石。これに対して、幽邃の境地は、静寂と奥深さを持っています。ある老臣の拝観記には、「近うして望み見て曠濶(こうかつ)にして廣く、闊達(かったつ)にして闡明(せんめい)なり」とあり、広くて明るい庭であるとしながら「偏(ひとえ)に山中のごとし」と付け加えました。その頃から、人々は、兼六園に宏大と幽邃が共生していることを実感してきたのです。オシャレな旅行かばん

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 人力(じんりょく)・蒼古(そうこ) 「人力」と「蒼古」も矛盾する関係にあります。人の手が加われば、そのままの自然が失われてしまいます。しかし、兼六園は「小島洲渚のあるところ、往々橋を設けざるはなし」と言われるほど人の手が加わっていたにもかかわらず、「巨木樹林陰翳(いんえい)し」ていて、「所々に苔むしたるが其数を知らず」という状態を保っていました。今、兼六園を訪れる人々も、園のすみずみまで人の手が入っていることを認める一方で、さびた趣を感じずにはいられません。

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 水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう) 「水泉」とは、池や滝などの水を指します。水が流れるのは、山間や谷底などの低いところ。このため、水と戯れながら遠望を楽しむことはなかなかできません。しかし、兼六園では、すぐそばに様々な水の競演を楽しみながら、遠くは内灘砂丘や能登半島、眼前には卯辰山から白山、さらに医王山を眺めることができます。「水泉」と「眺望」の共存。それは、他の庭園が真似できない兼六園最大の特徴です。

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