宫崎県歴史的重要建築物群保存地域 美々津地区を歩く

 ここはどこの都会に近いかと言えば、延岡と宮崎でしょう。どちらも東京や大阪からは飛行機やフェリー、鉄道の乗継でないと行けません。ここには何があるのか?どんな歴史があるのか?どうやって行けば一番良いのかをお話ししましょう。

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重伝建の美々津地区は宮崎県の北部に位置し太平洋の日向灘に面した古い街並みです。この漁村はただの普通の古い街並みではありません。確固とした歴史があるのです。神話の時代、初代天皇である神武天皇の東征は聞いたことがあるかと思います。神武天皇は九州高千穂を拠点に活動しており、日本統一を目指して東征を開始し、美々津を出港したのです。神武の軍勢は瀬戸内海経由で紀伊半島に入り、八咫烏の導きで紀ノ川沿いを東上して大和の国に入ったのです。旅行に良い携帯ポーチ等に興味のある方はこちら

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 美々津の古い街並みは宮崎県北部の最大規模河川である耳川の河口に位置します。古来港として栄えた場所です。明治時代はここに美々津県が設置されたそうです。美々津の建築物は以前の京都や大阪の町屋建築様式を採用しております。ここの上町、中町と新町は当時の面影を残しております。ここへ手早く行きたい方はJRに強いこの旅行会社はどうでしょうか?JRを利用するなら、この旅行会社は断トツです。

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 上記の写真は日向市歴史民俗資料館です。以前は内航汽船の会社である河内屋さんの復元したものです。ここは江戸時代に街並みを思い起させます。江戸時代の美々津は高鍋藩の対上方貿易港でした。明治大正期は輸送の窓口として繁栄しました。これは瀬戸内海を往来する海運会社です。この地は瀬戸内海航路の最西端にあたります。京都や大阪の様な商家、船会社、水運関連、漁師の家が並びます。もし旅行保険を掛けたくなった場合はこちらを見てください。

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 美々津は神武天皇出征の地だけではなく、日明貿易でも発展したのです。当地では240個の清代の硬貨洪武通宝が発掘されてことが記録されております。神武天皇が出征して、まず着いたのが日向市細島です。現在では細島港は国際港として豪華客船を受け入れております。ここに九州東部の観光基地が出来上がったのです。天孫降臨の高千穂まではここから車で約90分です。

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 美々津から近い場所に1970年より超電導リニアモーターカーの試験線が建設されました。やく7kmの線路でした。1979年にここで517km/hの新記録速度が記録されました。このリニア吉は1996年に実験が終了し、山梨県川口湖付近に移転しました。

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 ここの海岸の堤防は南海トラフ巨大地震の津波防御の為に作られました。しかし最新の津波シュミレーション計算では津波の高さはどんどん高くなり、こちらの自治体では対策を練り直しているようです。この写真に無造作に置かれているテトラポット群も風景は台無しにしますが、住民の命を守る為に設置されたようです。

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 美々津は古い歴史を持つ港です。中世にはすでに村ができており、江戸時代に入ると高鍋藩の商船が出入りしました。藩主の秋月氏もまた江戸に参勤交代時は利用したようです。古い街並みの上町、中町と下町は耳川沿いにあります。山屋根の住宅がとても多く、雨水は玄関の方へ流れました(平入造り)。ある雨水は隣との境を流れるように設計されております(切妻造り)。

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 村の三本の道路は火事が発生した時には役立ちます。延焼を防ぐ突破道路になるのです。